2020年6月19日金曜日

【初めて東豊永に来た時と今の印象の違い⑦】

皆さんこんにちは!
梅雨時期はじめじめして、なんだかいつもよりやる気が出ませんよね😓ですが、そんなこと言ってても作業は進まないので、計画的にやらないとです、頑張ります笑


今回のテーマは「初めて東豊永に来た時と今の印象の違い」についてです!
このテーマも私で最後となりました!(分かりづらい部分もあると思いますが、私なりに精一杯書いていますので、読んで頂けると幸いです🌿)



私は、初めて東豊永に訪れた際に標高400m程度に人が住んでいると言う光景に驚きを覚えたとともに、そこから見渡す景色に心地良さを抱きました。
私は高知県大月町出身なのですが、町内で1番高い山と言われている大洞山でさえ、標高450m程度で、その付近に人が住んでいるということはありませんでした。
そのため、自分が今まで生きてきた中で当たり前ではない新しい事が東豊永では感じられるのでは!?という期待を抱いていました。



私は約2年間の実習の中で、今までに経験したことのないたくさんの事を地域の方々に教えて頂きました。

地域の方の畑をお借りして、1から畑を耕し、農作物を育ててみたり、シカやウサギからスギ苗を守るための柵を立てたり、日曜市で使用するための棚を構図から考えて作ってみたり、実際に東豊永で1週間暮らしてみたり、山道や林道の清掃をしたり等

ここでは書き切れないくらいほんとにたくさんの新しい経験をさせて頂きました。
このような実習をしてきた中で今1番感じていることは、私が最初にこの地域に来て心地よさを抱けたその感情はそこに住んでいる人が居るからこそ、感じられた感情だったということです。


ある実習の日に地域の方が言っていた「みんなが今見ている景色は一次的自然ではなく二次的自然だ」という言葉をとても覚えています。
一次的自然とは全く人の影響を受けていない原生自然のことで、二次的自然とは人の手が加わることによって管理・維持されてきた自然環境のことを指します。

私が最初に見た景色はまさに二次的自然であり、人々の手によって作り上げられた棚田などの田園風景に美しさを感じ、そこで人が暮らしているという状況に心地よさを覚えました。しかしながら、私が抱いたこの感情はそこの地域の自然環境を管理・維持する人が居なければ感じられないものなのです。


私の祖父母は数年前まで野菜やお米、柑橘類などを育てていました。しかし、身体が不自由になり、畑の整備が出来なくなったため、現在畑は雑草が伸び切ってしまっています。この学部に来て、実習をしていなければ、ただ単に「畑が雑草で埋もれている」としか感じなかったと思います。
しかし、今は祖父母、いやそれよりも前の代から受け継がれてきた畑とその畑が整備されていたことによる美しい景観がこんなにもすぐに消えて無くなってしまうという状況に淋しさを感じています。
実習を通して、地域の自然環境を管理・維持していくことの大切さ、そしてそれを管理・維持していく責任感を自分自身も持たなければいけないと感じるようになりました。


初めて東豊永に来た時と変わらず、
東豊永は私にとって、新たな感情や考えを抱かせてくれる場所です。



とても長くなりましたが、最後まで読んでいただきありがとうございます😊
次回の投稿からテーマが変わるので楽しみにしていてくださいっ!🌷

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