2020年6月2日火曜日

【初めて東豊永に来た時と今の印象の違い③】



みなさんこんにちは!日中は汗ばむ陽気となってまいりました。気温が高まってくると、窓を開けて部屋の空気を入れ替える瞬間がよりいっそう気持ちよく感じます。


今回の学生ブログは、メンバーの記事を読むのが週2回の楽しみとなっている西本が担当いたします。
テーマは「初めて東豊永に来た時と今の印象の違い」。


私が初めて東豊永に訪れたのは大学に入学して2ヶ月目の初夏の日でした。
「実習」や地域を訪問するということそのものに常に緊張していた日々だったことを覚えています。
初めて東豊永に訪れたとき、第一に浮かんだ疑問が「この美しい景観を誰がどのように保っているんだろうか」というものでした。棚田を向こうに見渡しながらNPO法人ぬた守る会の事務所に伺ったりお茶摘みをさせていただいたりするなかで、たとえば怒田集落の道の脇に植えられているお花や整備されている棚田の風景は地域のどのような人がどのように管理しているのか、非常に興味を持ちました。

私は今まで比較的街中と言われるような地域で暮らしてきたなかで、自分の身の回りにある近所の景観を誰が保っているのか、公園のお花は誰が植えているのか、街にある植木の管理は誰がおこなっているのか…など「場所の景観を守る人」の存在に恥ずかしながら目を向けたことがありませんでした。


しかし、その後実習にて東豊永に伺い、道路や森林整備の事業をともにさせていただくなかで、「場所の景観を守る人」あるいは、その地で暮らすための安全や安心を守る人の存在を知りました。たとえばお祭りのおこなわれる前には道路に落ちた葉っぱや木の枝を取り除いて車が通りやすくすること、また、森林を整備することによって新たにスギやヒノキを植えることができたり、果樹を植えるための土壌を整えられることを実習で身体を動かしながら活動させていただくなかで知りました。



また、以前怒田集落で氏原学さんにライフヒストリーインタビューの機会をいただいた際に伺ったお話も印象的でした。戦後間もなくの都市部で食べられていた食糧は地方からの供出米によって中山間地域が支えていたこと、また、氏原さんのお宅では養蚕のための蚕を育てていたことを伺いました。
一方でその後、昭和60年代はじめあたりから中国産の絹が入ってきて養蚕がすべてなくなったこと、そのことによって、養蚕に使っていた桑畑を何に切り替えるかという改革が起こり現在の「ゆず畑」が生まれたことを知りました。
このように実習地である東豊永での活動を通して、中山間地域での暮らしや産業が日本という国家の歴史・環境・社会体制などにおいてどのような意味を持っていたのかを知りたいと思うようになりました。


実習活動では、生活の場である皆さんのお住まいの周りや地域に伺うなかで、さまざまなご迷惑をおかけしたりご負担をさせてしまっている点もあるのではないかと絶えず心配があります。だからこそ、カリキュラムとして実習に伺うことのできる3年間のあいだに自分なりに東豊永での学びで得た気づきや疑問に対する答えを見つけていきたいと感じます。
実習に伺うことのできない時期が続いているなかでも、今までの実習活動を振り返ったり学びにつながるような本を読んだりとできることをしていきたいです。余談ではありますが、卒業するまでに「大豊町史」を手元に持つことが夢です(以前古書店に探しに行き見つけましたが、値段が高く手が出ませんでした…)。



前回同様長くなってしまいましたが、ここまで読んでくださって本当にありがとうございます。
この学生ブログは毎週火曜日と金曜日の週2回更新を続けてまいります。また、東豊永集落活動センターのTwitter、Instagram、Facebookページも始動いたしましたので、ぜひフォローいただけますと幸いです。

吹く風も夏めいてきました。みなさまのますますのご健康とご多幸を心よりお祈り申し上げます。

高知大学地域協働学部 東豊永班3年
西本春菜(にしもとはるな)


0 件のコメント:

コメントを投稿

© 東豊永と学生のあゆみ | Powered by Blogger | Design by Enny Law - Supported by IDcopy